2013年 03月 02日
生み出し、表現すること |
常日頃漠然とあたまのどこかで渦巻いているのですが、ここ最近更に思いがつよくなっているものをつくることについて、今日はつらつらと綴らせていただくことにします。
今回は写真ナシです、ごめんなさいー。
実は以前、音楽をかじっていました。
歌うことが大好きすぎて、歌うたいになりたくて、某レコード会社のオーディションなんかも受けたりしていたくらい、ゾッコンになっていました。
(残念なことに最終審査で落ちちゃったんですけどね)
同時に、詞を書くことも大好きで、プロの方にほめてもらえたことに気をよくし、作詞家もいいなーなんてなんとなく勝手にワクワク夢みたりもしていました。
それから、ヘアモデルや読者モデルなんかもちらっと経験させてもらう機会もあったりして。
その後色々と思うところがあり、芸能関係にはサヨナラしまして、雑貨店での勤務をしていました。
商品を駆使してディスプレイするのが楽しくて、ディスプレイしたものが売れると嬉しくて。
だけど次第に大量生産された『商品』よりも、個人の作家さんの作り出す『作品』に心を感じて魅了されてゆきました。
そして、現在に至ります。
なんだかフラフラと、色々やってきたなーと思います。
でも、そのフラフラしてきたものたちには、共通点があることに気付いたのです。
それは、『生み出し、表現する』こと。
思いのままに歌うことも、心から沸きだした言葉を使って詞を書くことも、カメラの前に自分のお気に入りのコーデやヘアメイクをして立つことも、自分なりのセレクトでお店を飾ることも、一見バラバラのようでいて、全てが繋がっていました。
どうやら私は、何かを作り上げることがやめられない人間のようです。
何かを生み出していないと、生きる意味がないと思っているみたい。
高校時代、通っていたボイストレーニングの先生がこう言っていました。
『歌うという行為は、聴き手に自分の心の内をすべてさらけ出してしまうということ。だからすごく恥ずかしい行為なの。だけど、それをするからこそ聴き手の心を動かせるんだよ。』
人形作りも同じこと。
これからも恥ずかしい行為を精いっぱいしながら生きてゆこうとおもいます。
今回は写真ナシです、ごめんなさいー。
実は以前、音楽をかじっていました。
歌うことが大好きすぎて、歌うたいになりたくて、某レコード会社のオーディションなんかも受けたりしていたくらい、ゾッコンになっていました。
(残念なことに最終審査で落ちちゃったんですけどね)
同時に、詞を書くことも大好きで、プロの方にほめてもらえたことに気をよくし、作詞家もいいなーなんてなんとなく勝手にワクワク夢みたりもしていました。
それから、ヘアモデルや読者モデルなんかもちらっと経験させてもらう機会もあったりして。
その後色々と思うところがあり、芸能関係にはサヨナラしまして、雑貨店での勤務をしていました。
商品を駆使してディスプレイするのが楽しくて、ディスプレイしたものが売れると嬉しくて。
だけど次第に大量生産された『商品』よりも、個人の作家さんの作り出す『作品』に心を感じて魅了されてゆきました。
そして、現在に至ります。
なんだかフラフラと、色々やってきたなーと思います。
でも、そのフラフラしてきたものたちには、共通点があることに気付いたのです。
それは、『生み出し、表現する』こと。
思いのままに歌うことも、心から沸きだした言葉を使って詞を書くことも、カメラの前に自分のお気に入りのコーデやヘアメイクをして立つことも、自分なりのセレクトでお店を飾ることも、一見バラバラのようでいて、全てが繋がっていました。
どうやら私は、何かを作り上げることがやめられない人間のようです。
何かを生み出していないと、生きる意味がないと思っているみたい。
高校時代、通っていたボイストレーニングの先生がこう言っていました。
『歌うという行為は、聴き手に自分の心の内をすべてさらけ出してしまうということ。だからすごく恥ずかしい行為なの。だけど、それをするからこそ聴き手の心を動かせるんだよ。』
人形作りも同じこと。
これからも恥ずかしい行為を精いっぱいしながら生きてゆこうとおもいます。
by aki-wolf-doll
| 2013-03-02 03:08
| 作品のこと